車中泊の被災者は、余震とデマにおびえ車に逃げこんでいた 駐車場の車で何が起きていたのか?
(産経ニュース 2016.5.21 14:00)
熊本地震の被災地では発生から1カ月が経ってもなお、避難所の駐車場などで車中泊を強いられている人が多い。長期にわたる車内での避難生活はどのようなものなのか。長女(29)、長男(28)と家族3人で軽乗用車での車中泊生活を続けていた熊本県益城町の看護助手、女性(55)に、発生1カ月を機に振り返ってもらった。(三宅真太郎)
ドドドドドド-。4月14日午後9時26分、自宅で震度7の激しい揺れに襲われた。建物がミシミシと音をたてる。ここにいると危険だ。「車へ」と、家にいた長女と軽乗用車に慌てて飛び乗った。ヘリコプターの音や救急車のサイレンが一晩中鳴り止まず、余震が続く。おびえて眠れないまま朝を迎えた。
翌15日、避難所へ行こうか迷っていると、
自宅から最も近い益城町総合体育館の様子を見た隣人が「窓ガラスが割れて、壁も崩れていた。外も中も人であふれ、寝泊まりするスペースはなさそうだよ」と教えてくれた。
「しばらく車中泊するしかない」と覚悟を決めた。
16日未明、2度目の震度7に襲われた。車は上下左右に大きく揺さぶられ、車内で頭をぶつけないよう必死に座席やハンドルにしがみついた。
揺れが収まると、町の風景は一変していた。自宅は柱が折れて窓枠がゆがみ、とても住めそうにない。長男が「どうにかなるよね」と力なくつぶやいた。だが、自宅は取り壊しが決まり、それぞれの職場には落ち着くまで休むと伝えた。
この日、夕方から追い打ちをかけるような大雨が降り出したのを女性はよく覚えている。雨避けのために自宅の屋根に張ったビニールシートをつたって雨水がしたたり落ちてくる。自宅一帯に下水が混ざったような臭いが漂い、車の中にも充満した。
「もう、ここには居たくない」「頭がおかしくなりそう」
一家3人は、車中でも落ち着いて生活できる場所を探し始めた。
19日になって近くの住民から聞いた話を頼りに町の産業展示場「グランメッセ熊本」に移動。2200台分の駐車場があり、停める場所には困らなかった。
それまで夜は狭い軽乗用車の中で長女が運転席、母が助手席、長男は後席の荷物の隙間で眠っていた。疲労はピークに達していた。翌日の夜、たまりかねた長男がホームセンターでテントを購入し、車近くの木の下にテントを張った。
前席の2人は座席を倒すことができるようになり、3人はようやく手足を伸ばして寝られるようになった。長女が大切にしていた「テディベア」のぬいぐるみも後部座席に座らせることができた。
だが、平穏な夜はそう簡単に手に入らなかった。駐車場では真偽の分からない噂が飛び交っていたからだ。
「寝ていたら複数の男が来て、無理やりドアを開けようとされた」「県外ナンバーの車が車上荒らしの下見に来ている」…。
不安になり、寝る前にはアルミシートで車の窓を遮り、鍵がかかっているか何度も確かめた。
移動して3日目の夜、駐車場にけたたましい救急車のサイレンが響いた。近くの避難者に聞いた。
「エコノミークラス症候群になったみたいよ」
ぞっとした。いつ自分たちが倒れてもおかしくない。翌朝から車外での体操と車内でのマッサージを日課にした。外出したときには階段で上り下りするようにした。巡回に来た医者の言うまま、必死で身体を動かした。
暑い日も燃料節約のためエアコンが使えない。蒸し暑い夜には窓を開けたい衝動に駆られたが、見知らぬ人が不安で開けられない。かといって、避難所は感染症や食中毒が怖い。プライバシーに気を使う方がもっと疲れるに違いない。どうしても避難所に移る気になれなかった。
グランメッセ熊本には、昼と夜の1日2回、ボランティアが炊き出しに来てくれた。出来たての食事が心を温めてくれた。
「今日のメニューは何だろう」
そんなことを考えると、まだ前向きな気持ちになれた。
水や食料には困らなかったが、行政の担当者が様子を聞きに来たことは一度もないという。代わりに支えてくれたのは全国からきた支援者たちだった。
神戸からボランティアに訪れた夫婦は「阪神大震災で被災したが、数年かかって生活を取り戻した。絶対大丈夫だからね」と声を掛けてくれた。駆けつけたJAF(日本自動車連盟)の職員はバッテリー点検をしてくれたという。
この1カ月間、一日のほとんどを車内で過ごした。作業机代わりのダッシュボードの上にはティッシュやボールペン、暇つぶしにと購入した本が並んでいる。座席の足下にはタオルや服を詰めた袋が積まれ、足の踏み場はない。トランクや後部座席にも、生活に必要な物がすき間なく置かれていた。
自宅からやっとの思いで運び出した大切な品々だった。車に積めなかった分はビニールシートにくるんで家の前に置いてきた。風で飛ばされないよう壊れた瓦を置いてある。
自宅にあった物で車内を埋め尽くすと、まるで家の中にいるような気になって少し落ち着いた。避難所の駐車場にいる限り、食べる物やトイレには困らない。こんな環境でも生活していける。
そんな実感と同時にある思いが女性の胸に去来していた。「自立したい」。朝食は車を運転して近くのコンビニに買いに行くようにした。住む場所を確保しようと、親戚や知人に当たり始めた。
「車内にいると息苦しくて気がめいるんです。とにかく、つらくて苦しい1カ月でした」
振り返るとどうしても目に涙が浮かんでくる。
「でも、早く元の生活を取り戻したいという思いだけでやってきた。とにかく人としての誇りを失いたくなかったんです」
やっとの思いで近くに知人が紹介してくれた住まいを見つけた。一家はようやく屋根の下で寝られるようになった。
http://www.sankei.com/premium/news/160521/prm1605210019-n1.html