被災地に生きる 息子の貯金崩し生活費
(西日本新聞 2016年06月07日 01時54分)
熊本地震から1カ月あまりたった5月下旬。熊本県益城町の小学校のグラウンドで、永田真実(30)は、長男で小学1年の貴史(6)の手を引き、妹の優花(1)を抱きかかえ、炊き出しの列に並んでいた。
豚汁とおにぎりを受け取る。真実が「ふーふー」と息を吹きかけ冷ました豚汁を、貴史はうれしそうに食べた。子どもたちはボランティアからかき氷ももらい、にっこりと笑った。
シングルマザーの真実は地震前、訪問販売会社の契約社員として働いていた。自宅は熊本市内の賃貸アパート。養育費はなく、月給14万円でやりくりしながら、子どもの将来のため少しずつ蓄えてきた。
4月14日の前震後から車中泊。風呂も着替えの服もなく、4日後に真実の右足が化膿(かのう)し、高熱で1週間入院した。この間、子ども2人は施設に預けた。退院すると今度は優花が40度の熱を出した。入院費がかさみ、優花の学資保険を解約して現金6万円を捻出した。
真実は児童養護施設の出身。頼れる親族はいない。入院と優花の看病で仕事に行くことができず、収入は途絶えた。今春、小学校に入学した貴史のランドセルや制服をそろえたばかりで、貯金も多くはなかった。
お金を節約するため、炊き出しの情報を聞いては長い列に並んだが、4月下旬、ついに生活費が底を突いた。やむを得ず、今度は貴史のお年玉をためていた貯金から2万円を引き出した。貴史は「おもちゃが買えないよ」と怒ったが、「ちょっと借りただけ」と言い繕うしかなかった。
5月中旬、追い詰められた真実は壁に亀裂が走る自宅アパートに戻り、職場にも復帰した。だが、収入は目減りし、家賃や食費を支払うとほとんど残らない。
「情けないけど、またお年玉を借りるしかない…」と肩を落とす真実。地震で追い詰められた母子3人の、綱渡りの生活が続く。
◇ ◇
母子狭い車内で川の字 障害の子4人と避難所
「怖いから抱っこして」「地震、来ない?」
軽自動車の車内で、岸田綾(26)に長男の裕樹(5)、妹の鈴羽(4)が代わる代わる甘える。
シートを倒して平らにしても広さは2畳分もない。服や洗面器、学用品が所狭しと置かれる。熊本県益城町の避難所の駐車場で、母子は地震から50日以上たった今も車中泊を続ける。
大きな地震を2度経験し、子どもたちは夜になるとおびえる。熊本市の公園で車中泊していたが、常駐していた自衛隊が4月末に撤退すると、心細くなった。車内荒らしやわいせつ事件のうわさを耳にしていたからだ。車中泊者が多い今の駐車場に移った。
綾は4年前に離婚したシングルマザー。熊本市のアパートを借り、近くの縫製工場でパート勤務し、手取り5万円の月給と養育費月5万円で暮らしてきた。
だが、地震で建物の中に入るのが怖くなり、働けなくなった。貯金を切り崩し、生活費として使えるお金は10万円を切った。
「熊本市内の方ですよね」。益城町の避難所で配給の列に並んでいると、避難所の運営者から暗に移動を求められた。食事や生活用品をもらえないと生活が立ちゆかない。「避難所を転々として、やっとここにたどり着いたんです」と必死で訴え、何とかとどまることができた。
東京ディズニーランドに行くのが親子の夢で、震災前は1日数百円ずつ貯金箱に入れてきた。「お母さん、早く行きたいよ」。車の中で、裕樹がせがむ。
「子どものためにも、少しでも前に進まないと」。5月下旬、綾は自らに言い聞かせ職場に復帰した。それでも、アパートには近づくだけで足がすくむ。
梅雨入りし、車内は蒸し暑く、虫も増えてきた。「頑張ればディズニーに行けるよ。お母さんも頑張るから」。そんな会話で子どもたちを励まし、防犯ブザーを握りしめたまま、寝返りも打てない車中で今日も川の字になって眠る。
◇ ◇
熊本市のある避難所。山本さつき(37)は、段ボール塀で仕切られた6畳ほどの住居スペースに、子ども4人と暮らす。さつきもシングルマザーだ。
子どもはいずれも発達障害がある。毎朝、中学2年の次男(13)と中1の次女(12)を車で30分以上かけ、避難所から学校に送る。地震後に生計を支えるためアルバイトを始めた長女(19)と長男(18)も職場まで送り、夕方、4人をそれぞれ迎えに行く。
その合間に避難所で配給の列に並び、同市東区にある一戸建ての借家に戻ってウサギと小鳥の世話をする。ペットは、子どもの精神安定のために飼っている。
さつき自身も国指定の難病を抱え、フルタイムで働くことはできない。収入は月12万円の障害年金と、パート先のコンビニの給料約3万円。毎月ぎりぎりの暮らしを地震が直撃した。
着の身着のままで自宅近くの小学校に避難し、避難所の運営を手伝いながら、人手不足のため連日コンビニで働き続けた。
2週間後、さつきは疲労とストレスから避難所で倒れ、緊急入院。最高血圧は260もあり、医師から「死んでもおかしくない状態だった」と言われ、今も働くことができない。
大家は自宅を補修してくれるというが、大家自身も被災し、めどは立たない。障害を抱えた子どもたちの条件に合う物件も見つからず、仕方なく5万円の家賃を払い続けている。
避難所で配給される3食では、育ち盛りの子どもたちには足りない。スーパーで安売りの弁当を買うが、苦しい家計を圧迫し、親族からの借金でなんとかしのいでいる。
地震から1カ月以上が過ぎ、街中は平穏を取り戻しつつある。若い人たちは新しい住居を見つけて避難所から次々と出て行き、周りには高齢者や障害者を抱える家庭が目立つようになった。被災者の間に、格差が広がりつつあることを感じている。
忙殺される日々を送りながら、さつきは言う。「先が全くみえない。今は、その日を生きることだけを考えるようにしている」
◇ ◇
災害は、家庭が困窮していたり、ハンディキャップを抱えたりしている子どもに、より深刻な影響が出る。熊本地震の被災地で懸命に生きる親子の姿を追う。(登場人物はいずれも仮名)
http://www.nishinippon.co.jp/feature/tomorrow_to_children/article/250234