熊本地震で震度7、消防団の発災対応型防災訓練が活きた西原村
(Yahoo!ニュース 2016年9月13日 )
福和伸夫 | 名古屋大学減災連携研究センター、センター長・教授
◆小さな村、西原村での村ぐるみの助け合い
熊本空港からほど近くにある西原村は、人口6700人、面積77平方キロの小さな村です。村の東側に阿蘇があるのどかな村落です。村の職員は約60名で、防災担当職員は倉田英之さんという方、お一人だけです。村には消防署は無く、熊本市消防局の出張所があるだけで、11名程度の職員と、1台の消防ポンプ車、1台の救急車の体制でしかありません。警察も大津警察署西原駐在所があるだけです。24時間対応可能な病院もありません。倉田さんによると、たった一人の防災担当者を、消防団の人たちが助けてくれているとのことでした。
◆村の安全を担う消防団員
西原村には、定員一杯の255名の消防団員が居て、彼らが村の安全を担っています。約50の集落に、24班の消防団があり、それぞれの消防団に消防車があります。常備消防よりも遥かに多くの団員と消防車を持っています。その団長さんが馬場秀昭さんです。馬場さんによると、災害時には、消防団が村に代わって、被害状況や安否の確認、人命救助や避難誘導をすることになっていているそうです。村長の日置和彦さんも元消防団長だったそうです。ちなみに、全国の消防団員数は80万人くらいです。人口150人に1人くらいの割合ですが、西原村は30人に1人と、全国平均の5倍もの人が消防団員として地域の安全を支えていることになります。
◆布田川断層での地震に備えた実践型の訓練
西原村の中心には、東西に布田川断層が走っていて、断層の北側が沈降する地溝帯になっています。政府・地震調査研究推進本部による主要断層の長期評価では、今後地震が発生する可能性がやや高い活断層とされていました。このため、西原村では、布田川断層での地震を考えた発災対応型防災訓練を隔年で実施していました。発災対応型防災訓練とは通常の防災訓練とは異なり、災害が起きた後の対応を中心とした実践型の訓練です。とくに、昨年8月30日の訓練では、布田川断層で地震が発生し、震度6の揺れによって倒壊した家屋から人を救出する訓練をしていました。倒壊した屋根から瓦をどけ、チェーンソーで穴をあけて、そこから救出するというリアルなものでした。この経験が、熊本地震での救出活動に活きたようです。
◆震度6弱と震度7に襲われた西原村
熊本地震では、西原村は、4月14日の前震で震度6弱、16日の本震で震度7の揺れに見舞われました。前震での被害は大きなものでは無かったそうですが、本震では死者5名、全壊家屋約500棟、甚大な被害となりました。しかし、昭和61年に建設された2階建の村役場の建物はびくともしておらず、前震以降、役場で勤務し続けていた倉田さんたち職員を中心に、的確な初動対応がとられたようです。夜明け時点では、各消防団から被害情報が集まり、行方不明者も無かったと聞きました。日頃からの消防団との連携訓練が活きたのだと思われます。
◆9割が全壊した大切畑地区では死者ゼロ
布田川断層に近い大切畑地区では、26軒の家屋のうち9割が全壊しました。地震後、集落の消防団員を中心に、大谷区長以下、7~8人が集まって、全壊した6軒の家に閉じ込められていた9人の人たちを救出しました。真っ暗闇の中、ヘルメットにつけた懐中電灯と、ジャッキ、チェーンソーを頼りに、約3時間で、全員を救出したそうです。中には、発災対応型防災訓練と同様、屋根に穴をあけて救出した家屋もありました。
応急仮設住宅も建設され、少しずつ生活が戻っているようです。早期の復興を祈念してやみません。
西原村を歩いてみて、改めて、災害拠点となる役場の耐震化の大切さ、事前の実践的防災訓練、地域の安全を支える消防団、地域住民の共助の大切さを感じました。この教訓を各地に伝えたいと思います。
http://bylines.news.yahoo.co.jp/fukuwanobuo/20160913-00062100/