熊本地震関連死 心臓病の4歳女児、転院が負担に

熊本地震関連死
心臓病の4歳女児、転院が負担に
(毎日新聞 2016年9月28日)

 熊本地震で10歳未満としては初めて熊本県合志(こうし)市が震災関連死に認定したのは心臓病手術後、熊本市民病院(熊本市東区)に入院していた4歳の女児だった。地震で病院が損壊し転院を余儀なくされ、息を引き取った。回復後の幼稚園入園を楽しみにしていた娘。「まだ亡くなったことが受け入れられない」。取材に応じた両親は悲しみとともに「もっと早く病院の耐震化を進めてほしかった」と訴えた。

 女児の名は花梨(かりん)ちゃん(4)。8月31日付で関連死と認定され、直接死を含め熊本地震でただ一人10歳未満の犠牲者となった。

 生後4日で心臓の心室に穴が開いている「完全型房室中隔欠損症」と診断されており、今年1月に市民病院で3回目となる手術を受けた。今回で最後の手術となる見込みだったが、2月に合併症で間質性肺炎となり、集中治療室(ICU)に。そんな時に起きたのが熊本地震だった。

 4月16日の本震で病院は損壊した。病院は一部が耐震基準を満たしておらず、建て替え予定だったが遅れていた。発生から数時間後、市民病院から、両親側に倒壊の恐れがあるとして「転院を了解してほしい」と打診があった。リスクが伴うと判断した父親(37)は一度は断ったが、2度目は断らなかった。「病院が倒壊すれば病院の先生たちの命に関わり、他の人を危険にさらすわけにはいかなかった」と振り返る。

 16日午前11時ごろから、医療機器が積める大型救急車で搬送された。渋滞の中、約2時間かけて九州大医学部付属病院(福岡市東区)に到着。体力が落ちていたところに、長距離の移動や十分な酸素が送られない状態が重なったためか、体調は悪化した。

 花梨ちゃんは二つ上の姉が大好きで同じ服を着てよく遊んだ。今年4月には姉と同じ幼稚園に入園することが決まり、姉が先生役になって幼稚園に行く練習もしていたという。母親(37)は病床で目を閉じたままの娘に呼び掛け続けた。幼稚園の行事のこと、家族で出かけるテーマパークのこと。「お母さんはかりんがいないとダメだから頑張って」。だが、転院から5日後の21日朝亡くなった。

 ひつぎには家族がイラストを描いた。幼稚園の送迎バスや運動会の様子や着物を着ている姿……。中には幼稚園の制服や生まれた時から大切にしていた毛布などが納められた。

 父親は「病院さえ機能してくれれば移動する必要はなかった」と悔しがる。母親も「病院は災害の際に命を救う拠点。同じことを繰り返してほしくない」と願う。

 親戚からの助言で震災関連死に当たると考え7月に申請した。父親は認められたことにより亡くなったのは地震のためで「(娘は)病気には勝ったんだと思った。強かったんだなって思う」と涙を流した。

 家族は、花梨ちゃんの誕生日の10月、「退院したら行こうね」と病床で約束した大分県のテーマパークに行く予定だ。

http://mainichi.jp/articles/20160928/k00/00e/040/156000c

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