戻れぬ被災者(下) 帰りたい故郷、揺れる心

戻れぬ被災者(下) 帰りたい故郷、揺れる心
(西日本新聞 2016年07月17日 01時22分)

 人の営みが消えた集落は、色を失っていた。熊本県南阿蘇村の立野地区。地震と大雨による立ち入り制限が3週間ぶりに解除された15日、地元区長の立野峯之さん(69)は変わり果てたわが家に息をのんだ。

 屋根にかぶせたブルーシートは強風で飛び、天井に目を向けると、室内からでも梅雨の晴れ間が見えた。度重なる大雨で壁は腐食し、黒と緑のカビが臭いを放つ。床からはキノコが生えていた。

 「しちゃかちゃ(めちゃくちゃ)。これじゃ、人間の力ではどうもでけんよ」

 立野地区では、地震後の土砂崩れなどによって約340世帯の大半が地区外の避難所などに身を寄せた。集落の裏山では縦ずれの亀裂が口を開け、いつ崩れてもおかしくない。隣接する大津町のみなし仮設住宅で、妻フミ子さん(69)は峯之さんに「私は戻らないから、あなた1人で帰って」とこぼした。

 地区内には、集団移転を提案する人もいる。ただ、10戸以上がまとまらないと、国の補助は受けられない。公民館、秋祭り会場の立野神社も地震で壊れ、ばらばらに避難した住民が話し合う場所さえない。

 「帰りたくても帰れない所になってしもうた」。現地での生活再建という希望を捨てきれない峯之さんは、禁煙していたはずのたばこを吹かし、自宅の屋根に上って修繕を始めた。

    *     *

 連続震度7の揺れに見舞われた同県益城町の杉堂地区で、7日夜、30~40代の消防団員14人が高台のプレハブ小屋に集まった。地震後、初めての寄り合いに自然と笑みがこぼれた。

 呼び掛けた農業山内進さん(40)は静かに耳を傾けた。傾斜地の杉堂地区では家屋の8割ほどが全半壊。道路も寸断されたままだ。これからの避難先、自宅再建をどう考えているか。みんなの意見を聞きたかった。

 集団移転に話が及ぶと、車座になった14人の顔が引き締まった。安全な場所があれば、国の事業を活用したい。生まれ育った土地を離れたくない-。

 山内さん自身の悩みと同じだった。娘2人は自宅に近づくことすらできない。17日に仮設住宅へ移る予定だが、入居期限を迎える2年後の暮らしは想像できない。「ここに戻って大丈夫なのか」。5月に植えたサツマイモの手入れに身が入らない。

 寄り合いが1時間半を過ぎ、少しだけ酒が入ったところで誰かがつぶやいた。「本当は戻りたかけど…」。皆が理想と現実のはざまで揺れていた。

 杉堂地区は15日、役員9人を中心に集落復興の話し合いを進めると決めた。「これからじっくり考えればいい」。山内さんはそう自分に言い聞かせ、サツマイモ畑に向かった。

■移転事業 国の移転事業は、自然災害で被災したり、被災の危険があったりする住居地域を対象に補助金を出す。主に(1)住民の同意を得て、集団で別の場所に移る「防災集団移転促進事業」(2)壊れた住宅を取り除き、同じ場所に公営住宅を整備する「小規模住宅地区改良事業」-がある。2005年3月の福岡沖地震で被災した玄界島には小規模住宅地区改良事業が適用され、団地や一戸建てなど計165戸が島内に整備された。

http://www.nishinippon.co.jp/nnp/national/article/259522

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