東日本大震災6年 福島/避難者覆う無理解、不寛容

社説:東日本大震災6年 福島/避難者覆う無理解、不寛容
(河北新報 2017年03月08日)

 国が敷いた復興のレールを逸脱するのは、それほどまでに許されないことなのか。
 事故を起こした東京電力福島第1原発にほど近い福島県富岡町。町の第2次復興計画が、土壇場で変容した事実を知る人は少ない。計画策定に携わった人々は、今もやり場のない怒りを抱えている。
 全町避難という混乱の中で策定された第1次計画は、有り体に言えば、とりあえず国庫補助事業を獲得するための起案書の性格が強かった。
 その後の避難の長期化、町民要望の多様化を踏まえて編み直したのが、2015年7月発表の第2次計画だ。
 町職員は当時「事故は経済優先の結果。路線を改めないと日本が破滅する」と意気込みを語っている。町民と一緒に全国を巡った避難者意向調査は、ほぼ1年に及んだ。
 こうしてできた第2次計画は町と町民が「国にあらがうための根拠」となることを目指し、「早期帰還以外の選択」に重きを置いた。行政主導と一線を画した計画は住民自治力のたまものと言えよう。
 しかし、当事者の手を離れた後、唐突に計画の骨子にせり出してきたのは、現地復興・早期帰還方針だった。こうした方針転換の背景に、復興庁の「強い指導」を指摘する声もある。
 富岡町民に限らず長期避難を余儀なくされた人々は「戻りたいけれど、現状では戻れない」と苦悩し続けている。
 避難住民の願いは、決して災禍をばねにした華々しい「復興」などではない。以前の暮らしを取り戻したいというささやかな「復旧」だ。
 福島県は住民の側に立つべきなのに、大規模プロジェクト誘致に似た発想で原発事故からの復興を進めようとしている、との批判がある。
 「特に福島はひどく官邸での会議の主張は、国にできるだけ多くの事業を認めてもらえさえすればよいという態度だった」。国の復興構想会議委員を務めた河田恵昭京大名誉教授は後にこう証言した。
 こうした避難住民をさいなむ「暗雲」は、市民社会にも広がってきている。
 低線量被ばくへの不安を非科学的と一蹴し、自主避難者の過剰反応が風評を助長しているとの論調は、その典型ではないか。
 科学的知見に基づく「安全」が後に覆る例は、過去にいくらでもあった。人に感染しないとされた「牛海綿状脳症」の、その後の世界的混乱を引くまでもなかろう。
 「正論」を振りかざす人は、幼子を抱いて避難生活を続ける母子避難者に「除染が進み、現在人が暮らしている場所に危険はない」と言う。「それでも信じられないものは安心できない」と訴える母の心情はくもうとしない。
 国、県、そして市民社会にある「大人の分別」を装った無理解と不寛容。原発事故から6年を経た福島の一つの断面を映していないだろうか。

http://www.kahoku.co.jp/editorial/20170308_01.html

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